アラレちゃん音頭

祖父母の機嫌が良さそうだったのが印象的だった。

彼らぐらいの年齢の人間にとって東京音頭というのは、
地獄の黙示録でいうところのジャンピンジャックフラッシュとか
俺達にとってのラブマシーンとか名もなき詩とか、そういう
パーフェクトに把握してる類いの流行歌なんだろうーと勝手に思ってたら
祖父が、まるで初めて踊ったかのようにおぼつかない感じで東京音頭を踊ってたのが
何とも言えずにんまりする光景だった。
それでも祖父が甚平を着て上機嫌に踊ってる姿は、なんというかイイ感じだった。

「最後に、アラレちゃん音頭をやりまーす。ちびっこは集まってくださーい」
というアナウンスとともに、ちびっこが中央に集まってアラレちゃん音頭が始まった。

30年前の事だから、これは後付けの記憶なのかも知れないが
飽くまで保守的な音楽だけを流すはずの盆踊りに
俺達のカリスマであるアラレちゃんが歌う、伝統なき音頭を迎合するとは
何と頭の柔らかい大人達だ!と、当時感激したような記憶がある。
んなわけないか。いや、でもそこでアラレちゃんを流すというセレクトに
斬新さぐらいは感じていたように思うし、あの曲が流れると嬉しかった。

それから30年間、アラレちゃん音頭はローカルな盆踊り大会で流れ続けてる。
30年間垂れ流しである。頭が柔らかいどころか、やさぐれた惰性しか感じない。
当然ではあるが、ちびっこ達は誰1人としてアラレちゃん音頭をちゃんと
踊れていなかった。当たり前だ。あの曲がテレビで放映されなくなってから
30年も経過してるのだ。
これはもう、今のちびっこ達は開いた口がふさがらないほど
迎合されていないわけである。

さらに、一種の感激を抱いていたはずの俺ですら
ガキの頃の楽しかった盆踊り大会を思い起こす時のBGMは
アラレちゃん音頭ではない。東京音頭か狛江音頭なのだ。
やっぱり、オールドスクールを楽しむ場である以上
それを象徴する曲の方が脳裏に焼き付くのも当然と言えるかも知れない。

じゃあ結局誰のために垂れ流しになっているのか、全く不明な状態のまま
いったいいつまでこの曲は流れ続けるんだろう。

ガキをガキ扱いしちゃいけないという事の典型的な例のような気がした。
無理やりでいいから東京音頭踊らせりゃいいんだよ。
ガキだって良い曲ぐらい、聴かせてりゃじきに分かる。

本日の一曲
世上只有妈妈好


全然本文と関係ないんだけど、今日横浜中華街に行ってきた。

昔、中華街の雑貨屋で、パンダの目がピカーンと光りながら

この曲が超高音で流れるというおもちゃを買って

それがすげーファニーなんだけどテリボーだったのが

当時の俺に大きなインスピレーションを与えた。

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