両親がコロナに感染して、犬を預かった話:中編

前編はこちらです

2021/04/09:トイが逃げた

トイがどこに行ったのか。
真っ先に浮かんだのは今朝方散歩に行った時の事だった。彼は実家までの道のりを把握しているし、そこに向かいたがっていた。その散歩で彼が見せた思わぬ表情のせいで脳内が完全にドラマ化していたので、また実家の玄関先で彼が頑なにおすわりをしていて、「おい、心配させんなよ〜!」と抱きしめる画をイメージして颯爽と自転車をとばした。しかし、残念ながら実家にもそこに至るルート上にも彼の姿はなかった。
捜索は開始5分で行き詰まった。父親や母親が散歩に行きそうな場所も探してみるが、いくら狭い街と言えどこんな探し方で見つかる気がしない。一度、林の中でガサガサ物音が聞こえたので、絶対そうだと確信して自転車を半ば投げ捨てるようにそちらに向かったが、物音がどこからしたのかすら分からなかった。
どうすれば良いのかだんだん分からなくなり、一旦自宅に戻った。窓から顔を出した嫁に「交番は?」と言われ、そんな初歩的な可能性に気づけない程度に焦っていた自分に気付かされた。

交番の前に自転車を停めようとすると、そこには警察を含む数名の人がいて、ちょっと良い予感がした。そのうちの警察官が1人交番から出てきた。半分ぐらい俺がやってきた理由を察していたのだろう。サツだけに。
「どうされました?」と声をかけられた時点で、交番の中にいるトイが見えていた。
「犬が・・」「あ!こちらのワンちゃんですか!?」

小学三年生の女の子グループが、トイを交番に届けてくれていた。どうやら別ルートから実家へ向かって、途中の公園で女の子達に保護してもらえたようだ。交番のデスクの上にちょこんと立っていた彼は、なんかかわいかった。警察の説明を受け、ちょっとめんどくさい事務処理をするのに30分ぐらいかかった。女の子たちに何度もお礼を言い、散歩用のリードを付けて歩いた。
彼はまた実家方面に向かおうとした。しょうがなく彼を片手に抱きかかえて、片手で自転車を押して家に帰った。いろんな意味でつらかった。

仕方ないので、自分の仕事部屋に彼を連れて行ったところ、想像以上におとなしく、仕事の邪魔にもならなかった。さ、、最初からこうすれば良かったのか・・ちょっとショボンとしているように見えたが、とりあえず一安心はできた。このまま自分の部屋に寝泊まりしてもらうのがベストにも思えたが、俺は翌週から出張が控えており、弟の家はマンションで、犬を飼うのは禁止されているようだった。母親の願い通り、俺の出張中だけは実家に一人暮らししてもらい、弟家族がエサやりと散歩を担当してくれることになった。出張から帰り次第、俺が自宅の部屋で飼うことにしようと決めた。

このあたりで母親が入院している病院から電話があり、厳しい現状を丁寧に説明してくれた。まだ熱が下がらず、これを下げるために薬を使うが、それは持病の症状を悪化させる可能性が高く、一定のリスクがあるので意思確認を、とのことだった。メディアから他人ごとのように聞いていた情報の通り、それ単体で致死率が高い病気ではないが、持病を持っている高齢者にとっては恐ろしい病気だということが改めて理解できた。
話は、延命措置の確認にまで及んだ。
「ご本人は、充分楽しい人生を歩めたので必要ないとのことだったのですが」との事だった。こんな事が起きると想像をしたことは無かったので、回答に詰まった。結局、自分が今同じ状況になったらどうしてほしいかを根拠にすることぐらいしかできない。回復の可能性があるならできる限りの治療はしていただきたいが、そうでないなら本人の意思を尊重してくれと伝えた。
何の悪意もなく、むしろ母親に対する愛情と尊敬から抽出した発言だが、それでもどこか「殺してくれ」という事を伝えたような気がしてしまい、胸が傷んだ。前々から聞くこの問題の意外な難しさに直面した気分だった。性根が良いばかりに、当人が望まないと知りながらもこのセリフがどうしても言えない人も多いのではないだろうか。

それでも、いつもどおりに仕事を終わらせた。
これは責任感の類というよりは、人間は緊急事態において、日常的な行動を取りたがる習性があるというので、恐らくはそれだ。阪神大震災は早朝5時頃に起きたそうだが、その直後かなりの数の人が、いつもどおり出勤をしようと、電車が動いているわけのない駅に向かったという話を聞いたことがある。それみたいな感じで、この週の仕事をこなしていたように思う。実際、俺の気持ちに起きていたことはここに綴っている通り非常事態そのものだったが、客観的な事実としては両親がコロナに感染しただけで、このご時世そこまで珍しいことではない。

2021/04/12〜:出張

今回の出張は全国的なコロナ感染状況によってリスケにリスケを重ねたものだった。現場のチームメンバー達も楽しみにしてくれていたので、なんとか価値を出したかった。結果的に良い出張になったように思う。身近な一部のメンバー以外には、家庭の事情については特に話さなかった。束の間、楽しく充実した時間を過ごせた。

弟は、Messageに毎日散歩の様子を動画で送ってくれていた。もちろん、母親に対して「ちゃんと散歩はできてるぞ」という事を知らせるためのものだが、それはもはやトイを末弟として感情移入しはじめていた俺をも安心させてくれた。

しかし、弟からはそんなほのぼのした報告だけがされていたわけではない。父親の状況について報告と相談が別途あった。コロナの症状としては治ったので退院しなければならないが、自力で歩くのが難しい状況なので介護が必要かもしれないという事だった。もう何から調べたらいいのか分からず、近所の老人ホームの金額を調べたり、介護保険制度なるものを調べたりしていた。

2021/04/16:レギュラー散歩を体験した

木曜日に出張先から帰り、金曜の朝に、実家に向かってトイを散歩に連れて行った。実家から出発する、彼にとってレギュラーな散歩のルートを、彼がその足取りをもって俺に教えてくれた。なるほど父親が好みそうなルートだと思った。俺も幼少期にはよくこの遊歩道を父と散歩した。植物に詳しい父は、その知識を披露してくれるのだが、幼い俺はそれをひとつも覚えることができなかった。
遊歩道を逸れて、自宅に向かうルートはある程度想像通りだったのだが、そこから程なく、彼は俺の知らない小道に入っていった。ぱっと見た感じ、民家の間を通っているので私有地のように見え、入ろうと思ったことがなかった小道なのだが、よく見れば侵入して良い道なのが分かった。その道はわずか5m程度で、小さな神社に抜けた。
この神社は、かつて父親と一緒に自転車の補助なし練習をしたり、毎年夏祭りを楽しみにしていた場所だ。小学生の時は神社の屋根に登って遊んでいた。そんな危なくて不謹慎な場所で遊ぶのは、今思えばとんでもないことだが、ジャッキーに憧れた昭和の小学生にとってはひとつのステップアップだった。ある日、神社の関係者の方に見つかり、鬼のように怒ったその男性に追いかけられ、必死で逃げた。その逃げ道として記憶されているじゃり道を小綺麗に舗装したのが、さっきの小道だったのだ。
実家にちょくちょく立ち寄っていた俺にとって、地元の景色というのはそれほど鼻がツーンとするようなものではなかったのだが、この神社はもう20年以上立ち寄っていない、記憶からこぼれ落ちていたパーツで、一気にノスタルジックな気持ちを覚えた。
この時、張り詰めていた何かがプツンと切れて、トイを含む家族に関わること以外の事を何もしたくなくなった。その日の仕事をやすませてもらい、2度の散歩と2度のエサやり、それにちょっとした連絡という、全部合計しても2時間もかからないタスクに全集中した。あとメッチャ寝た。

弟から連絡が来た。親父の容態が思ったより良いらしく、明後日退院させることにしたとのことだった。このままトイを家に連れて帰るつもりだったが、親父と一緒の方が彼も安心できるだろうと、そのまま実家に残す判断をした。

後編へつづく