優しさはスキルだという話

去年NYに行ってから、登壇の機会などでたまに言ってる「優しさはスキルだ」という話について。

zendesk社が地域ボランティア活動に取り組んだ際に、それに熱心なスタッフほど、仕事でもお客様を満足させる技術に長けていて、またその人自身も職場環境に満足していたそうです。CSRとC-SATとA-SATが完全に相関していたと。

確かに、CSにおけるハイパフォーマーというのはもちろん情報処理能力に優れていたり集中力に長けていたり知識が豊富だったりするんですが、本当に顧客対応が上手なプレイヤーというのは、総じて優しい人が多いと思います。

この「優しさ」というのは、「性格」ではなくて「スキル」だと思うので、それについてつらつら書きます

 

 

性格とスキル

端的に、断定的に、結論ファーストで言えば
性格は一生変える事ができないもので、スキルは鍛えれば誰でも伸びるものだと僕は定義しています。

血液型性格診断がこんなに信じられているのも、性格が一生変えられないものだという事を裏付けるものだと思います。
あの診断の中にもスキルに分類されるようなものが多分に含まれてしまっているので、個人的にあれは嫌いなのですが、性格というのは何十年も生きていても血液型をピタリ言い当てられたりするほど、変える事が困難なものです。
例えば、目立ちたがりは性格ですが、大勢の前で自分の意見を発表できるのはスキルです。
性格とスキルはお互いに影響を与え合いますが、ベーシックな性格として目立ちたがりだったり引っ込み思案だったりするのは、スキルで変わることはありません。それで変わるのは思考とか経験値とかです。性格が根本的に変わったわけではありません。

優しさっていうのは、先天的にまたは幼少期に固定化されて変えづらいタイプのもの「性格」ではなくて、他者と接するという生活の中で、どんどん磨かれていく「スキル」だと思うわけです。

 

スキルは行動や成果物で測定されるべきである

例えば僕が電車でお婆ちゃんに席を譲ったとします。その理由が「感謝されると最高に嬉しくなるから」とか「好きな人の前でエエかっこしたかったから」だったとします。そうすると不思議なもんで偽善だと糾弾したがる人が現れます。
一方、僕がギターを上手に弾いたとします。これは動機が上述のような内容であっても僕が奏でる音の評価は変わりません。

ここが違和感を感じるところです。例えそれが選挙に受かるためだろうが、他人を10pt幸せにしたら10ptぐらい評価するのが正当だと思います。そうやってどんどん他人を幸せにするスキルを盗んだりしていった方が幸せ総量は増える。幸せ総量を増やす事の素晴らしさと比較すると、動機とか人格なんてどうでも良い事なんです。選挙期間外に非道な事をやっていればそれはそれで避難すれば良いんだけど、「選挙期間中だけ他人を幸せにしている」ことを避難するのは、やっぱり性格を評価しようとする行為なんだと思います。

スキルなら伸ばせるはず

優しさというのがスキルなのであれば、努力をすることでもっと優しくなれるし、しっかり教育をすることでチームメイトをもっと優しい人にすることができるはずだと思います。
僕がチームをマネジメントする上で、実はすごく意識していることだったりします。
それを上手くできているかといえば、これはなかなか難しかったりするんですが、もっとその力を磨きたいとは思っていますよ一応は。